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柴田天馬

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柴田 天馬(しばた てんま、1872年11月3日(明治5年10月3日) - 1963年(昭和38年)2月9日)は、中国文学者、ジャーナリスト。 鹿児島県生まれ。本名は一郎。東京法学院(現在の中央大学)に学ぶ。満州に渡り、当地で出会った『聊斎志異』部分訳を、現地の日本語新聞に連載し1919年に刊行。新版を出していた第一書房創業者の長谷川巳之吉の強い勧めで、全訳の刊行にかかったが、1933年に発禁処分となり一巻のみで中絶したが、訳は続けた。現地の日本語新聞社の重役などを経て、戦時中は南満州鉄道に嘱託で勤務。引き揚げで資産を失うなどの紆余曲折を経て全訳を完成、1951-52年に刊行。1953年に毎日出版文化賞を受賞。 その奇抜なルビの使用法で、多くの著名な作家・学者にも愛読され、柴田版『聊斎志異』は今も根強い人気を保っている。なお角川文庫旧版には明治35年(1902年)生まれと紹介があるが、それでは17歳で最初の翻訳を出したことになるので、誤植(間違い)と思われる。

受賞作一覧

1953

第7回毎日出版文化賞